「食料品ゼロ税」でも棚は埋まらない!作る人が消える国の選択
選挙の「食料品ゼロ税」が救うもの/救えないもの
スーパーの米売り場で、思わず足が止まる。
「また上がってる……」とつぶやきながら、買う量を少し減らす。これが、多くの家庭のリアルです。
だからこそ選挙で「食料品の消費税をゼロにします」と聞けば、心が動くのは自然なことです。家計にとって、減税は“いま”を助ける即効薬になり得ます。毎日の買い物で必ず出ていく支出が軽くなれば、子育て世帯も年金暮らしの家庭も、息継ぎができる。政治が生活防衛を語るうえで、食料品の税負担を問題にすること自体は、決して的外れではありません。
ただ、ここで一度、落ち着いて考えたいのです。
減税は「消費者の今」を助けても、農家の「将来の不安」を解消する政策ではないという点を。
減税で“得をする”のは誰か。では“損をする”のは誰か。
食料品の消費税が下がれば、原則として小売価格は下がります。消費者の負担は軽くなり、体感としては「助かった」となりやすい。一方で、生産者側のコスト構造は、その瞬間にはほぼ変わりません。
農家の財布を直撃しているのは、肥料・燃料・資材・機械・電気代といった“作るためのコスト”です。これらは世界情勢や為替、物流、エネルギー価格に左右され、ここ数年で一気に上がりました。減税はこのコストを直接下げるものではありません。
つまり、消費者にとって「買う時に安い」は起こり得ても、農家にとって「作る時に安い」は起きにくい。
さらに厄介なのは、減税が「値下げ圧力」として働く可能性です。
流通の現場では、“消費税分下がるはずだ”という空気が、小売・卸・加工の価格交渉に影響しやすい。生産者の取り分が守られる設計がなければ、最終的に現場が薄利で耐え続ける構図が強まります。消費者の負担を下げた結果、作る側の体力を削ってしまう、これは、最悪のシナリオです。
「安く買える」と「10年後も買える」は別の話
昨年の“米が足りないかもしれない”という空気を思い出してください。
あのとき消費者が感じたのは、単なる値上がりではありません。「いつもあるはずのものが、いつも通りに手に入らないかもしれない」という不安です。食料は、価格だけでなく“供給の安心”が価値になります。
ここで重要なのが、食料安全保障の視点です。
食料安全保障とは、戦争や災害のような非常時の話だけではありません。平時においても、国内の生産基盤が弱り、担い手が減り、地域の水田や畑が維持できなくなれば、私たちの食卓は静かに脆くなっていきます。棚が空くのは、ある日突然ではなく、「作る人がいなくなる」ことの積み重ねの結果として起こります。
減税は、生活を守る政策として議論されるべきです。
しかし、農業の未来を守る政策としては、足りない。ここを混同すると、私たちは“いま助かる選択”の代わりに、“未来の供給不安”を買ってしまいかねないのです。
有権者が問うべきは「減税の有無」ではなく「セットの設計」
では、どう考えればよいのか。答えはシンプルです。
減税をやるなら、同時に「作る側が続けられる仕組み」を必ずセットで示せ
これが、有権者が政治に突きつけるべき条件です。
具体的には、次の3点が欠かせません。
- 持続可能な価格形成(コストを反映できる取引)
- 担い手・後継者を生む仕組み(継承や新規参入の制度設計)
- スマート農業や法人化を含む“経営”への投資(省力化と収益性の両立)
「食料品ゼロ税」は、入口としてはわかりやすい。けれど、入口だけで終われば、出口は暗い。
安さを語るなら、同じ熱量で“作る人を増やす設計”を語っているか。
それが、次の見出しで扱う「令和の米騒動」を読み解く鍵になります。
令和の米騒動は“不作”ではなく“基盤弱体化”の警告だった
「あれは天候のせいで、お米が不作だったから」。
令和の米騒動をそう片付けてしまうと、同じことが繰り返されます。なぜなら、実態は“単発の不作”というより、供給・需要・在庫・流通の綻びが同時に露出した出来事だったからです。
端境期に起きた“棚の空白”は、需給のズレが可視化された瞬間
2024年の夏頃から「店頭で米が品薄」「購入制限」という光景が広がり、米の小売価格が跳ね上がりました。野村證券の解説でも、2024年8月に品薄と価格急騰が起き「令和の米騒動」と報じられ、2025年に入って再燃した、と整理されています。
ポイントは、棚が空になったのが“全国一律の大凶作”という単純な話ではないことです。
政策・流通・消費行動が絡み合い、「足りないように見える」状態が一気に増幅した。ここを理解しないと、「備蓄を出せば終わり」「補助金を積めば終わり」という対症療法に戻ってしまいます。
原因は一つではない。「供給」「需要」「在庫」「流通」が同時に揺れた
各種の分析で共通して語られているのは、原因が複合的だという点です。たとえば民間シンクタンクの分析は、米市場の不安定化を供給・需要・在庫の3視点で捉え、気候変動・高齢化・インフレといった供給力低下、短期需要増、在庫逼迫が絡んだと指摘しています。
そして、行政側も“流通の可視化”を進めています。農林水産省は、需要量・生産量・在庫量、価格、スーパー販売数量などを整理した「米の流通状況等について」を公開し、端境期の需給や価格上昇の背景を示しています。
さらに2024~2025年度は、国内米価の高止まりを受けて、SBS方式の輸入が上限10万トン全量落札され、枠外関税を払って主食用米を輸入する動きが拡大した、という資料も出ています。
つまり「国内の供給が十分かどうか」以前に、需給調整と流通の目詰まりが“体感の不足”を強めた側面がある、ということです。
「備蓄米を出す」だけでは終わらない、届かなければ棚は埋まらない
騒動が長引いた理由の一つは、対策が“物流・流通のボトルネック”に阻まれた点です。
実際、政府が備蓄米を放出しても、小売まで届く割合が低いことが問題になりました。Reutersは、以前の放出分で小売に届いたのが一部にとどまったこと、改善策として随意契約や輸送費負担などを検討したことを報じています。
ここで見えてくるのは、食料安全保障の本質です。
国として米が「ある/ない」ではなく、**生活者が買える場所に「届く/届かない」**が安心を左右する。そして、その“届かない”を誘発する背景に、そもそも現場の担い手不足・コスト高・採算悪化という、土台の弱体化がある。
騒動の本当の論点は「価格」ではなく「生産基盤」だ
令和の米騒動は、値札の問題であると同時に、「作り続けられる人が減っている」問題の警告でした。
需要が一時的に振れたとき、流通が詰まったとき、気象で品質が揺れたとき、その“揺れ”を吸収する余力(人・在庫・地域の生産体制)が痩せていれば、棚は簡単に空きます。
だから次に問うべきは、「米価を下げるかどうか」だけではありません。
10年後も主食が当たり前に買える体制をどう作るのか。
その答えは、次章で扱う「作る人がいない現実(担い手・後継者)」と、さらに「持続可能な価格形成」へとつながっていきます。

データで直視する「作る人がいない」現実
「米が足りないかもしれない」という不安の正体は、結局のところ“生産基盤が薄くなっている”ことです。
ここから先は、気合や精神論ではなく、数字で現実を見ます。
担い手は“減っている”どころか、構造的に“消えている”
農林水産省の整理によれば、基幹的農業従事者は長期的に減少し、平均年齢は69.2歳という水準まで高齢化しています。
そして深刻なのが、後継者の確保です。農業経営体のうち、後継者を確保できていない割合が7割を超えるという結果も示されています。
この数字が意味するのは、「農家が高齢化している」だけではありません。
“次の世代が入ってくる前提で組まれていた地域の仕組み”そのものが崩れ始めているということです。
「1戸減る」は、1枚の田んぼが消える話ではない
農業は、個人の営みであると同時に、地域の共同インフラです。
稲作なら水管理、畦畔の維持、用水路の清掃、獣害対策、集落の作業受委託これらは、誰か1人が抜けるだけでも負担が周囲に波及します。
後継者がいないまま高齢の経営体が離農すると、どうなるか。
耕作面積がそのまま別の担い手に移るなら良い。しかし現実には、受け手も同じように高齢化し、余力がない。結果として、
- 一時的に作付けが縮む(=地域の生産量が落ちる)
- 管理が薄くなり、荒廃が進む(=復旧コストが跳ね上がる)
- 「次に引き受ける人がさらに見つからない」悪循環に入る
という順で、静かに崩れていきます。棚が空くのは“最後の結果”であって、原因はそのずっと手前にあります。
農業が「継ぎたい職業」になりにくい“本当の理由”
ここで、よくある誤解を外します。
「若者が根性不足だから」「田舎を嫌がるから」ではありません。むしろ最大の壁は、個人の努力でどうにもならない“経営の釣り合い”です。
- 肥料・燃料・資材・機械などのコストが上がる
- しかし販売価格は、交渉力や商慣行の中で上げにくい
- その結果、利益が残りにくく、投資も人も呼べない
このアンバランスのまま「作り手を増やせ」と言っても無理があります。
だから次の論点は、「政治は継げるのに、なぜ田んぼは継げないのか?」という皮肉な対比に進みます。農業を“家業”の継承に閉じ込めず、経営として継ぐ発想に切り替えられるかがカギです。
そして、その切り替えを現場で成立させるには、たとえば唐沢農機サービスのように、機械・技術だけでなく、承継の設計(資産整理、収益計画、受け手探し、伴走)まで含めて支える存在が必要になります。
「世襲政治」と「農業後継」が交差する、皮肉な対比
政治の世界には、よく「三バン」という言葉があります。
地盤(支持基盤)・看板(知名度)・鞄(資金力)。この3つが揃うほど、次の世代は“引き継ぎやすい”。もちろん政治家の世襲には賛否があります。ですが少なくとも、政治の後継は「継ぐための資産」が見える形で存在し、引き継ぐ側も周囲も“継承”を前提に動きやすい構造になっています。
では、農業はどうでしょう。
田んぼも畑も、機械も施設も、地域の信用も、取引先も、本来は“引き継げる資産”のはずです。それなのに現実は、こう問い返したくなる。
「政治は継げるのに、なぜ田んぼは継げないのか?」
この皮肉の答えは、個人の根性ではなく、構造にあります。
農業の後継は「資産」より先に「不安」を引き継いでしまう
政治の後継が強いのは、「継ぐほど有利」と感じられる“リターン”があるからです。
一方、農業の後継で起きやすいのは、「継ぐほど責任が増え、リスクが見える」状態です。
たとえば稲作なら、引き継ぐ側は最初にこういう現実を突きつけられます。
- 肥料・燃料・資材が毎年変動し、コストが読みにくい
- 機械更新のタイミングが来ると、一撃で数百万円〜数千万円が飛ぶ
- 天候・病害虫・獣害で収量が振れる
- それでも販売価格は、自分の努力だけでは上げにくい
つまり、農業の継承は「土地と機械をもらえる話」ではなく、“価格が上がりにくい市場で、上がり続けるコストと戦う契約”になってしまっている。
この構図のまま「若者が継がないのはけしからん」と言うのは、後継者に“無理ゲー”を押しつけるのと同じです。
「家を継ぐ」モデルが崩れたなら、発想を変えるしかない
かつては、農業は家族労働を前提に成立してきました。
地域の暮らしと仕事が一体で、資産も技術も“家”の中で循環する。ところがいま、その前提が崩れています。結婚・子育て・住まい・教育・働き方、価値観が多様化するほど、「家の都合」でキャリアを決めるのは難しくなる。
ここで重要なのは、“家業の継承”に固執して詰むのではなく、継承の定義をアップデートすることです。
- 「家を継ぐ」→「経営を継ぐ」
- 「長男が継ぐ」→「意欲と能力のある人が継ぐ(第三者も含む)」
- 「勘と経験」→「数字と仕組み(法人化・雇用・分業・データ)」
農業が継がれない最大の理由は、若者の意識ではなく、経営として“成立しにくい形のまま引き継がせている”ことにあります。ならば、成立する形にしてから継ぐ。順番を変えればいい。
政治が支援すべきは「継ぐ人」ではなく「継げる構造」
ここから先、政治に求めたいのは、根性論ではなく設計です。
「担い手を増やす」と言うなら、具体的に何をどう変えるのか。私は少なくとも、次の3つがセットで必要だと考えます。
① 価格形成を“交渉できる”仕組みにする
継承の前提として、再生産できる価格が立たなければ話になりません。コストを説明でき、取引で反映されやすいルール整備が必要です。これは次章(持続可能な価格形成)で深掘りします。
② 失敗しても立ち上がれるセーフティネット
新規就農も承継も、最初の数年は必ずつまずきます。赤字が出た瞬間に撤退する世界では、挑戦者は増えません。「保険」「収入の底支え」「資金繰りの安全網」が、地方創生の土台になります。
③ “経営として継ぐ”ための実務支援
法人化・雇用・受委託・機械の共同利用・データ管理・販路設計。継承の成功率を上げるのは、精神論ではなく実務です。農家が孤立して全部背負うのではなく、地域で支える仕組みが要る。
政治の世襲が良いか悪いか、という話をしたいのではありません。
言いたいのは、継承が成立する世界には、必ず「継ぐほど有利な構造」と「支える仕組み」があるという事実です。
農業が継がれないなら、継がれない理由を直視して、構造を変えるしかない。
そしてその構造変化の核心が、次の章で扱う 「持続可能な価格形成」です。安さだけを追えば、継ぐ人はいなくなる。けれど、コストとリターンのバランスが取れれば、農業は“職業として選ばれる”側に戻っていけます。
解決の鍵は「持続可能な価格形成」“安さ”から“継続”へ
食料品の消費税をゼロにする議論が盛り上がるほど、逆に浮かび上がる問いがあります。
「私たちは“安い食料”が欲しいのか。それとも“途切れない食料”が欲しいのか」。
もし後者を本気で選ぶなら、避けて通れないのが価格形成です。
ここで言う価格形成は、単なる値上げの正当化ではありません。むしろ、いままで見えにくかったコストと責任を可視化し、作り手が再生産できるラインを社会で合意するという話です。
2026年4月1日、「食料システム法」が本格的に効いてくる
農林水産省は、いわゆる「食料システム法」が2026年4月1日に全面施行されることを前提に、地方説明会の開催や運用の周知を進めています。
この法律の狙いは、食料の生産・加工・流通・販売までを一つの“システム”として捉え、持続的な供給に要する合理的な費用を考慮した価格形成と、取引の適正化を後押しすることにあります。
ここが重要です。
価格は本来「需給で決まる」と言われますが、現実には商慣行や交渉力の差で、コストが十分に反映されないことが起きてきました。そこに制度としてメスを入れる、という設計です。
“値上げ”ではなく“説明できる価格”へ:ポイントは3つ
① 努力義務と行動規範で、交渉を「当たり前」にする
食料システム法では、取引当事者に対して、持続的な供給に要する費用等を踏まえた協議などを促す枠組みが整理され、実施状況が著しく不十分な場合の対応(指導・助言、勧告等)も含めた全体像が示されています。
乱暴に言えば、「コストの話を出すのは空気が悪い」ではなく、コストの話を出して誠実に協議するのが“ルール側の期待値”になっていく。
② “コスト指標”という共通言語を作る
同法は、指定品目についてコスト指標を作成・公表する仕組みも示しています。
これが効くのは、買い手・売り手のどちらかが強いから価格が決まるのではなく、「この条件なら、これだけ費用がかかる」という議論の土台ができるからです。結果として、「値上げしてほしい」ではなく「このコスト増をどう分担するか」という対話に変わっていく。
③ 商慣行の見直しまで踏み込む
納品期限など長年の商慣行がコスト負担を生み、持続可能性を損ねているという問題意識も示されています。
つまり“価格”だけでなく、取引慣行そのものを変えないと、現場の負担は消えない、ということです。
「安さ」を守るために、あえて「価格」を語る
ここで誤解してほしくないのは、私たちが目指すのは“高い食料”ではない点です。
目指すのは、作る側が撤退しない価格。撤退が増えれば供給が細り、結局は価格が不安定化して、消費者も傷つきます。令和の米騒動で体験したのは、まさにその入口でした。
そして、消費税ゼロの議論と、この価格形成の議論は本来セットです。
減税で「買う負担」を下げるなら、同時に「作る側が続く条件」を整えないと、社会全体としては“安さのために供給基盤を削る”結果になりかねない。安く買える未来を守るには、作り続けられる未来を先に確保する必要があります。
「スマート農業」は地方の票田を救うか?
「地方創生」と言えば、どの政党も言います。
けれど、農村で本当に起きているのは“人口が減っている”だけではありません。もっと切実に言えば、仕事として回らなくなりつつあるという危機です。田植え・草刈り・水管理・収穫・乾燥調製これを支えてきたのは、地域の熟練と体力と時間でした。しかし担い手が減り、平均年齢が上がり、共同作業の前提が崩れると、いくら志があっても続かない。
そこで希望として語られるのが「スマート農業」です。
ただし私は、スマート農業を“夢の機械”として持ち上げたいわけではありません。問うべきはもっと現実的です。
スマート農業は、地方に若者を戻す力になり得るのか?
それとも、補助金で機械が入って終わるのか?
この違いを分けるのは、技術そのものよりも、「導入の設計」と「失敗できる環境」です。
スマート農業は“未来の話”ではなく、制度として動き始めている
2024年10月1日、スマート農業に関する法律(スマート農業技術活用促進法)が施行され、国として技術活用を後押しする枠組みが整いました。(maff.go.jp)
ここでのポイントは、単に「ドローンを買いましょう」ではなく、スマート農業技術の活用計画を“認定”し、支援につなげる方向性が明確になったことです。(maff.go.jp)
つまり、スマート農業は「現場の流行」ではなく、政策の中心に入ってきています。
では、これが地方にとって何を変えるのか。
若者が戻る条件は「省力化」だけではない。“産業としての魅力”が必要だ
スマート農業というと、真っ先に「省力化」「人手不足対策」が語られます。もちろん重要です。
自動操舵でまっすぐ走るトラクター、ドローン防除、センサーで水管理、AIで生育診断。これらは、身体的負担と時間を確実に削ります。
でも、若者が戻るかどうかを決めるのは、もう一段先の問いです。
- 省力化で利益は残るのか
- 働き方として休日が作れるのか
- 技術を使うことで成長実感や誇りが持てるのか
- そして何より、失敗しても立て直せるのか
“ハイテク化=若者が来る”と短絡するのは危険です。
若者が定着する産業には共通点があります。仕事が属人的でなく、学習曲線が見え、再現性があり、キャリアとして語れる。そして、収益が出る。
スマート農業の本当の価値は、機械が賢いことではなく、農業を「再現性のある産業」に近づけることです。勘と経験をデータに置き換え、属人性を下げ、チームで回せるようにする。これができたとき、農業は“家業”から“産業”へ移行します。
「機械を入れたのに儲からない」が起きる理由:3つの落とし穴
スマート農業が広がらない、あるいは途中で折れる現場には、典型的なパターンがあります。
落とし穴①:導入目的が“補助金の消化”になっている
機械が先に決まり、運用設計が後回しになる。結果、使いこなせず、現場の負担が増える。
落とし穴②:データが“溜まるだけ”で経営に効かない
センサーやアプリで記録は取れる。しかし、販売・作付け・労務・資金繰りの意思決定に繋がらなければ、宝の持ち腐れです。データは、利益に変換して初めて価値になります。
落とし穴③:失敗したときに“終わる”
新技術には必ず失敗があります。機械トラブル、設定ミス、気象変動、作業計画の崩れ。ここで資金繰りが詰まった瞬間に撤退する世界だと、挑戦は増えません。
つまり、スマート農業を本当に機能させるには、機械の導入補助“だけ”では足りない。
必要なのは、運用設計とセーフティネットです。
地方創生の“具体策”にするなら、必要なのは「伴走」と「継承の設計」
ここで、スマート農業と事業承継の話が交差します。
技術を導入しても、その経営が継がれなければ、地域の基盤は強くならない。逆に言えば、継承が見える経営ほど、スマート農業投資は活きます。
- 受け手が学べるマニュアル・データが残る
- 作業が標準化され、雇用・分業がしやすい
- “属人性が下がる”ことで第三者承継の成功率が上がる
そしてここに、唐沢農機サービスのような存在が効いてきます。
現場に必要なのは「機械を売って終わり」ではなく、使い方、稼ぎ方、継ぎ方まで含めた伴走です。スマート農業は、道具の導入ではなく、経営の再設計だからです。

スマート農業は、地方を救う可能性があります。
ただしそれは、「農業がハイテクになったから若者が来る」という甘い話ではなく、“経営として成立する設計”を作れた地域が勝つという現実でもあります。
では、その“経営として成立する設計”を、家族内継承が崩れた時代にどう成立させるのか。
最後の章は、そこに答えを出します。
「家の継承」崩壊後のリアルな出口、第三者承継という選択肢
ここまでの話をまとめると、結局こうなります。
減税だけでは「作る人」は増えない。令和の米騒動は、供給の不安定化が“起きるべくして起きた”と教えた。担い手は高齢化し、後継者は足りない。価格形成を変え、スマート農業で再現性を高めても、最後に残る問いは一つです。
「じゃあ、誰が継ぐのか?」
家族が継ぐ前提が崩れたなら、答えは“家の外”にも求めるしかありません。
そこで現実解として浮上するのが、第三者承継です。これは「誰でもいいから引き継いでもらう」話ではありません。逆です。第三者承継は、家族内承継よりもむしろ、経営としての完成度と透明性が求められます。だからこそ、成功すれば地域の生産基盤を守る強力な武器になります。
「農地を引き継ぐ」ではなく「経営を引き継ぐ」時代
第三者承継の本質は、農地の名義移転ではありません。
引き継ぐべきは、次のような“稼ぐための仕組み”です。
- 作付け体系(何を、どれだけ、どの順で作るか)
- 機械・施設の稼働計画(更新時期、修繕計画、減価償却)
- 労務(誰が、いつ、どの作業を担うか)
- 販路(出荷先、単価、品質基準、交渉のポイント)
- 資金繰り(借入、補助金、キャッシュフロー)
- 地域との関係(用水、作業受委託、共同作業、合意形成)
つまり第三者承継は、「畑があるからやってみて」では成立しません。
“経営の設計図”があって初めて、引き継ぐ側は人生を賭けられる。これが、家族内承継との決定的な違いです。
出し手の責任/受け手の覚悟 承継は“善意”ではなく“契約”である
第三者承継で、最も重要なのは「誠実さ」です。
出し手が「もう歳だから、誰かやってくれ」と投げるだけでは、受け手は燃え尽きます。逆に、受け手が「農業って自由そう」と甘く見ても、現場は受け止めきれません。
だからこそ、第三者承継は善意のマッチングではなく、契約と準備のプロジェクトとして扱うべきです。
出し手に求められるのは、たとえば以下です。
- 経営の数字を開示する(売上・経費・利益・借入・設備)
- 引き継ぐ資産と負債を整理する(機械、倉庫、在庫、契約)
- 「何を守りたいのか」を言語化する(田んぼ、地域、雇用、技術)
一方で受け手には、覚悟が要ります。
- “作業”ではなく“経営”を背負う覚悟
- 学び続ける姿勢(栽培・機械・経理・販売・人材)
- 地域に入る責任(合意形成、信頼づくり)
第三者承継は、ロマンではありません。
でも、ロマンだけでは続かない時代に、最も現実的で希望のある道です。
成功率を上げるカギは「見える化」と「伴走」
ここで、承継を“成立”させるために必要な要素を、あえて分解します。
私は少なくとも、次の4点が揃うと成功率が跳ね上がると考えています。
① 経営の見える化(数字・作業・リスク)
受け手が判断できる情報があるか。ここが曖昧だと、信頼は生まれません。
② 収益設計(価格形成と販路を含む)
持続可能な価格形成の議論が、現場の契約や販路に落ちているか。
「いいものを作れば売れる」ではなく、「どう売れば利益が残るか」を設計する。
③ 技術・運用の標準化(スマート農業の“本当の価値”)
属人的な勘を、手順とデータに落とし、誰でも再現できるようにする。
これは、新規参入者にとっても、雇用就農者にとっても生命線です。
④ 伴走(最初の数年を支える)
承継は、契約した瞬間がスタートラインです。最初の1〜3年が最も危険。
ここで相談先がないと、資金繰り・栽培・販路のどれかで詰みます。
だからこそ、唐沢農機サービスが掲げる「農業アトツギ」の価値は、単なるマッチングではなく、“承継をプロジェクトとして成立させる支援”にあります。機械や技術だけではなく、経営の見える化、改善、そして継承までを一体で考える。これが、いまの農業に必要な「仕組み」だと思います。
結び 投票の争点は「食料の値段」だけではない。「誰が作るか」だ
選挙で「食料品ゼロ税」を聞いたとき、私たちはつい“値札”を思い浮かべます。
でも、本当に見なければいけないのは棚の奥です。
- その食料を作る人は、10年後もいるのか
- 価格は持続可能に設計されているのか
- 技術と制度は、挑戦者を増やす形になっているのか
- そして、承継は仕組みとして成立するのか
安く買えても、作る人がいなければ棚は空のまま。
私たちの一票は、「今日の負担をどう減らすか」だけでなく、
「明日の食卓を誰が作る社会にするか」を決める一票でもあります。
だからこそ、減税の是非を超えて、政策を“セット”で見てほしい。
価格形成、担い手、スマート農業、そして第三者承継。
ここまで踏み込んで語る政治があるかどうかが、食料安全保障の分かれ目です。
そして現場には、継承を「根性」ではなく「設計」に変えるパートナーが要る。
農業アトツギが目指すのは、農家のバトンを“奇跡”でつなぐことではなく、
誰もが「継げる」「継がせられる」仕組みを地域に実装することです。
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